[2011年05月] アーカイブ

2011年05月23日

がんばろう!日本 2

東京チームのKです。
あの恐ろしい震災から2ヶ月が経ちました。
東北地方、関東圏はまだまだ様々な問題を抱えてはいますが、
我々は一歩づつ前進していくしかありません。
その結果が被災された方々や、経済にプラスとなることを願ってやみません。
今回は、そんな災害時に弊社の診療予約システム「アットリンク」
どのように効果を発揮されていたのかをお伝えします。

3月11日の震災以降は、診療予約システム「アットリンク」をご利用いただいている
ユーザー様の安否の確認に奔走しました。
特に震源地に近い東北地方や茨城県などの一部の関東圏のユーザー様には中々、
連絡がつかない状況でした。
もちろん中には、停電により電話が不通になっていたところもあり、
様々な業者の方の情報より安否の確認ができたというところもありました。

その後、我々は関東圏のユーザー様への訪問を開始しました。
そこで、地震当時の様々なお話を聞かせていただき、医療機関の大変さを痛感しました。
御存じの通り、診療予約システム「アットリンク」のユーザー様は
産婦人科のクリニックが大半を占めております。
その産婦人科で問題となっていたのは、原発事故による「水」と「電気」の問題でした。
「水」に関してはニュースで様々な報道が流れましたが、消費者にとっては
「どこまでが安全なのか?」が不明瞭でした。
また電量不足による「計画停電」も同様に、グループ分けはされたものの、
「詳しくはホームページで」など非常に曖昧なものでした。

そこで「アットリンク」をご利用いただいているユーザー様は、
通院されている患者様(特に妊婦さん)に対して、
「水の安全性についてのメール」や「計画停電による休診時間のおしらせ」などを、
メールにて配信されていました。
特に検査などで使用する医療機器などは計画停電時には使用できないので、
「本日の午後より当院の地域では計画停電が実施されますので、検査の御予約をされている方は、
午前中にお越しください」といった、メールを配信し、見事に患者様を誘導しておられました。

また診療予約システム「アットリンク」のver.4では、モバイルサイトのオプション機能もあるので、
メールだけではなく、サイト上に情報を公開されているクリニックもありました。

そうした情報の配信により、患者様の不安を軽減したり、正確な情報を伝えることができたと、
各クリニックより感謝の言葉をいただいております。
(計画停電については、予定されていたが、実施されなかったというケースも
多かったようですが・・・)

今回のような経験をしたことがない緊急事態になった場合でも、診療予約システム「アットリンク」
活用することにより、情報の共有ができて良かったという声をいただけたことは、
日頃、「アットリンク」を販売している現場の我々にとっては非常に誇らしいことでした。

この先、このような事態にならないことが一番、望ましいとは思いますが、
まだまだ予断の許さないこの状況下です。
夏の計画転電に備えて自家発電装置を導入されたりと各医療機関も対策を練っていると思いますが、

弊社の「アットリンク」を「予約システム」としてではなく、
患者様との「コミュニケーションツール」としてご検討いただいてはいかがでしょうか?

我々スタッフも、今回の経験を活かし、各医療機関に対して、
より効果的に活用できるよう御提案をしてまいりますので、よろしくお願いいたします。
日本は強い国!がんばろう日本!!(どこかのCMより引用)


投稿者 offshore : 09:13 | トラックバック (0)

2011年05月06日

がんばろう!日本

このたびの東日本大震災により、
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被災された皆様とそのご家族の方々に対しまして、
心よりお見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

神戸オフィスのFです。
私にとって今回の東日本大震災は、1995年1月17日に発生しました
阪神・淡路大震災を思い出させるものでした。

私自身はその当時、大阪市内に住んでおりました。
早朝に大きな揺れを感じ、目が覚めましたが、
未だいつもの起床の時刻ではなかったので、再度眠るという
今から思うと何と大胆な行動をしたものか!というアホな
行動を取ってしまいました。再度目覚まし時計で起き、
テレビのスイッチを入れますと、地震に関するニュースが
報道されており、震源地が神戸淡路島近海という事を知り、
唖然となりました。私の実家は神戸市の長田区であり、
父母に祖母、弟の4人がその当時も実家に住んでおりました。
すぐに実家に電話をかけますがつながりません。
電話がつながらない=不安が増幅します。
今では珍しくないのですが、その当時私の
父親は仕事の関係で携帯電話を持っており、その携帯電話に
電話をかけました。呼鈴はするのですが、電話に出ません。
何度も何度も電話をかけますが、ついに、その呼鈴もならなく
なってしましました。
直ぐに、会社の上司に電話をいれ、実家に向かう事の
許可をとり、自家用車に乗って神戸に向かいます。
神戸に向かう道は大渋滞であり、いつもなら1時間足らずで
帰れる実家にたどりつけず、関西の地理に詳しい方は
判ると思うのですが、朝7時半に大阪市淀川区を出て、
12時間後に西宮市役所に着くというものでした。
通常ではありえない状況でした。
その間も、倒壊している家屋、寸断された道路を
目の当たりにし、半ば家族が無事でいることを諦め
なければと覚悟しました。

翌日、会社に出社しましたが、会社も業務が出来る状態ではなく、
逆に上司に「お前会社に来て何してるんや!あほか!家族の元に
行かんかい」と言われ、車では行けない旨を伝えると、
先輩の彼女(会社とは関係ない人)から原付バイクを拝借し、
大き目のリュックに水や食料を詰め込み(皆がカンパしてくれました)、
神戸に向かいました。神戸に近づくにつれ、目を疑う光景が・・・・・
高速道路が横倒しに倒れ、倒壊した家は数知れず、
いたるところで火災が起きており、この世のものとは
思えない光景でした。
4時間程度かけ実家に着いた頃は、夕方4時頃でした。
実家は全壊しており、原型をとどめておらず・・・!
実家の前で、呆然と立ち尽くしてると、女性から
話しかけれれました。実家の3件隣のにすんでいる方で
「Fさんとこの息子さん?Fさんところみんな無事でどっかに
避難しているで、そこのダンボールの切れ端に、
家族の無事と、避難している場所の住所が書かれているで。」
と教えられ、それを見ると住所と家族全員の無事が記されており、
安堵感でその場にへたりこんでしまいました。
その女性の方に、お礼し、PETボトルのお水を分けてあげて、
その場を後にしました。自分の家族が無事という事がわかり、
次に心配になるのが、友人関係です、行動できる範囲の
友人宅を回りましたが、どこも全壊もしくは半壊しており
当然自宅には夕方という事もあってか人の気配がありませんでした。
そして近所の学校や公民館を尋ね、数人の友人と無事再会できました。
余談ですが、原付バイクで移動していたのですが、ヘルメットや
体にコツコツ、パッシと何かが当たるものがありました。
何と電線が切れて電柱より垂れてきており、それが体に当たってる
というものでした、街灯は無く、ほとんど漆黒の闇夜であり
それに気づかなかったのです。それに引っかかり転倒したらと
思うと今でもぞっとします。日常では考えられない事態が
起きているのです。

その後、家族が避難しているところに向い、
家族と対面し、皆で無事を喜びあいました。
そんな非常時でも親というのは子供を心配しており、
水や食料を持ってきている私に対して、「ご飯
食べているのか?お腹すいてないか?」と心配してくれ
涙が出そうでした。
いくつになっても、この人たちの子供なんだなぁと
感慨深いものがありました。

翌朝、公衆電話から会社に電話をいれ、
家族の無事を伝え、そのまま2、3日滞在することになり、
瓦礫のしたから、必要なものを出したりしました。
保険証書、アルバム、食器、衣類、母親へそくり(笑)等、
余震を気にしながらの作業はなかなかはかどりませんでした。

友人たちとも合流し、それぞれの自宅を回り
必要なものを取り出す作業をそれぞれ手伝いながら
行ないました。

その時の心境を今思い出しますと、とにかくマイナス
思考になりがちです。夜は本当に自然と涙が
出てくるくらい寂しいものでした。ですから、
笑ったり、面白いことを話したり、行なったりして
いないと精神的にもたなかったと思います。
ですから、芸能人や著名人が現地に来て、
面白い事をやったり、励ましてくれたり、
炊き出しをしてくれたりは本当にありがたかったです。

あの大震災から2ヶ月近く経ち、さらに西日本に居る
私達は徐々に忘れてしまっている。このことが怖いのです。

今自分に出来る事は何だろうと考えると、
大きなことは出来ませんが、コンビ二で買い物の度に
おつりを募金したり、節電したり、節水したりと
小さなことをコツコツ実践しております。
復興には何年もかかります。
東北地方の復興には継続的に支援をしていかなければ、
この苦境は乗り越えられないと思います。

1人の日本人として、何が出来るのか
皆さんも考えて頂き、実行して頂きたいものです。

今日はこの辺で失礼いたします。

投稿者 offshore : 11:21 | トラックバック (0)